『さよならララ』2話は、現代の滋賀に迷い込んだララが、大津茉里との衝突を経て「信じること」を覚え始める回です。
第2話「滋賀を走る」では、200年の眠りから目覚めた人魚の姫ララが、未知の文明に翻弄されながら、大切な指輪を探して滋賀の街を駆け回ります。
第1話のラストを飾ったのは、空から降ってきたララと、大津茉里が放った強烈なパンチでした。
衝撃的な出会いから始まった二人ですが、第2話では喧嘩、逃走、絶望、救出という段階を丁寧に踏みながら、物語の中心となる関係を築き始めます。
表面だけを見れば、異世界から来た少女が現代文明に驚くコメディ回です。しかし演出を追っていくと、ララが200年前の悲劇を繰り返すのか、それとも茉里との出会いによって別の答えを見つけるのかという重要な分岐点になっています。
ここでは『さよならララ』2話の感想を中心に、ララの変化、茉里の行動、原典『人魚姫』とのつながり、滋賀を舞台にする意味まで掘り下げていきます。
※この記事は『さよならララ』第2話の内容に触れています。
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『さよならララ』2話「滋賀を走る」では何があった?
第2話「滋賀を走る」は、200年前から現代の滋賀県へ現れたララが、大津茉里の家から逃げ出し、失くした指輪を探す物語です。
ララは人魚の王国に生まれたプリンセスであり、第1話で王国の崩壊を経験した後、長い眠りについていました。現代で復活した彼女が持つ人間界の知識は、王子と過ごしていた約200年前の時代で止まっています。
そのため、茉里の家に置かれているAIスピーカーすら、ララにとっては正体不明の存在です。
目覚めたララは、枕元から聞こえてくる声に驚き、AIスピーカーを投げて窓ガラスを割ってしまいます。さらに茉里と顔を合わせると、彼女を魔女の手下ではないかと疑い、割れた窓から外へ飛び出しました。
窓から落ち、転がりながら逃げていく姿はコミカルです。しかし、この一連の逃走には単なるドタバタでは済まされない切実さがあります。
ララは過去に人間の王子を信じ、その結果として拒絶されました。加えて、自分の選択が人魚の国の崩壊につながったという重い記憶を抱えています。
知らない部屋、知らない機械、知らない少女に囲まれた状況で、ララが最初に選んだのが「会話」ではなく「逃走」だったことは重要です。
彼女は茉里のことを知らないから逃げたのではありません。誰かを信じた後に再び失うことが怖いから、相手を知る前に遠ざけようとしたのではないでしょうか。
外へ逃げ出したララは、自分が大切にしていた指輪を失くしたことに気づきます。
この指輪は、単なる装飾品としてではなく、200年前の記憶や王子への思い、そしてララがかつて夢見た愛をつなぎ留める象徴として描かれています。
ララは指輪を探すため、見知らぬ現代の滋賀を走り回ります。タイトルの「滋賀を走る」は、文字どおり彼女が街を駆ける様子を示すと同時に、過去から逃げ続ける心の動きまで表しているように感じました。
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『さよならララ』2話の感想|現代の滋賀に戸惑う演出が面白い
『さよならララ』2話の前半でとくに印象的なのは、現代文明とララの知識がかみ合わない場面です。
ララは人間の世界をまったく知らないわけではありません。200年前には王子と接し、当時の人間社会について一定の知識を得ていました。
ところが、200年という時間は、人間の生活を大きく変えるには十分すぎます。
車と聞いてララが想像するのは馬車ですが、実際に目の前へ現れるのは鉄でできた現代の自動車です。彼女にとって車は便利な移動手段ではなく、音を立てて迫ってくる未知の怪物に近いのでしょう。
AIスピーカーから突然声が聞こえる場面も同様です。
視聴者にとっては日常的な家電でも、ララの視点に立てば、姿のない何者かが部屋の中から話しかけてくる怪異です。ララの大げさな反応を笑いながらも、「彼女には本当に恐ろしく見えている」と理解できる演出になっています。
この視点のずらし方が、本作のコメディを支えています。
現代人が当たり前だと思っているものを、200年前の人魚姫の視点から見直すことで、滋賀の日常風景が少しだけ不思議な世界へ変わる。ここが『さよならララ』ならではの面白さです。
なかでも、急いでいるララが滋賀県発祥のスーパーマーケット・平和堂でHOPカードへの入会を勧められそうになる展開には笑ってしまいました。
ララにとっては人生を左右する指輪を探している最中です。しかし周囲の人々には事情が分からないため、ごく普通のキャンペーン案内が進んでいきます。
本人だけが必死なのに、世界は平然と日常を続けている。この温度差が絶妙でした。
滋賀で親しまれている飲料ブランドのチェリオや平和堂のHOPカードなど、実在する地域文化が自然に登場する点も見逃せません。
単に有名な観光名所を並べるのではなく、地元の人が日常的に目にするものを物語へ組み込むことで、「人魚姫が滋賀で暮らし始めた」という突飛な設定に生活感が生まれています。

私は、今回の滋賀描写を背景美術だけの魅力とは捉えていません。
ララが知っているのは、王子との悲しい記憶が残る古い人間界です。対して現代の滋賀には、自動車、スーパー、AIスピーカー、地域に根づいた商品など、彼女の知らない暮らしが広がっています。
つまりララが街を走ることは、200年前の価値観から少しずつ外へ出ていくことでもあるのです。
過去の王子だけが人間ではない。自分を拒絶した人間だけが世界のすべてではない。
第2話の滋賀は、その事実をララに体験させるための舞台として機能していました。
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ララのツギハギの舌は『人魚姫』の原作を示す伏線?
『さよならララ』2話では、ララの舌にツギハギのような痕があることが作中で示されます。
これは、ハンス・クリスチャン・アンデルセンによる童話『人魚姫』を踏まえた意匠だと考えられます。
アンデルセンの『人魚姫』では、人魚姫が人間の足を得る代償として、魔女に舌を差し出します。声だけを失うというより、舌そのものを切り取られる厳しい描写です。
一方、広く知られている映像作品の『リトル・マーメイド』では、美しい声を魔女へ渡す設定として表現されています。
『さよならララ』が舌の傷を見せたことからは、現代的な人魚姫のイメージだけでなく、アンデルセンの原典を細部まで参照していることが伝わります。
小出卓史監督も、作品の重要な部分やヒントが『人魚姫』にあるため、原典を繰り返し参照して制作した趣旨をインタビューで語っています。
そこで気になるのが、200年前に切られたと考えられるララの舌が、なぜ現在はつながっているのかという点です。
完全に元どおりになったわけではなく、傷痕を残した状態でつなぎ合わされている。このデザインは、失ったものが簡単には消えないことを表しているように見えます。
考えられる可能性はいくつかあります。
- 魔女グレイスの力によって舌が修復された
- 200年間の眠りの中でララ自身の力が働いた
- 王子との契約や人間になるための魔法が終わり、舌が戻った
- 過去の犠牲を記憶させるため、傷だけが残された
現時点では、どれか一つに断定することはできません。
ただし、わざわざツギハギを見える形で残している以上、今後もララの「言葉」と「愛」をめぐる物語に関係する可能性は高いでしょう。
アンデルセンの人魚姫は、声を失ったため、自分が王子を助けた存在だと伝えられませんでした。愛しているという気持ちがあっても、その気持ちを相手が理解できる言葉に変換できなかったのです。
『さよならララ』のララは言葉を話せますが、自分の恐怖や後悔を茉里へ正直に伝えられているわけではありません。
舌は戻っていても、心の声はまだ戻り切っていない。
私は、この微妙な状態こそがツギハギの舌に込められた意味ではないかと考えています。
傷を消して新しい人生を始めるのではなく、傷を抱えたまま誰かと話し直す。『さよならララ』が描こうとしている再生は、過去をなかったことにする魔法ではないのでしょう。
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ララと大津茉里の関係はなぜ2話で大きく変化した?
『さよならララ』2話の中心は、ララと大津茉里が反発しながらも、少しずつ互いを受け入れていく過程です。
第1話の最後で茉里は、突然飛んできたララへ反射的にパンチを放ちました。ララにとって茉里は、自分を攻撃した人間であり、魔女とつながっているかもしれない危険な存在です。
一方の茉里からすれば、ララは家の窓を割り、説明も聞かずに逃げ出した正体不明の少女です。
最初から相性が良いわけではありません。それでも二人の関係が近づいたのは、茉里がララの正体よりも、目の前で困っている事実を優先したからです。
200年前、ララが思いを寄せた王子は、彼女が人魚であることを知ると拒絶しました。
王子にとって、人魚であるララは受け入れがたい存在でした。ララがどのような思いで彼を助け、何を犠牲にして人間の姿を得たのかよりも、人魚という違いが先に判断材料となったのです。
しかし茉里は違います。
茉里はララが人魚であると知っても、それを大きな問題として扱いません。驚きや戸惑いはあっても、人魚だから距離を置くという態度を取らず、同じ家で寝食を共にできる存在として接します。
この差は非常に大きいものです。
王子は、人間らしくなったララを愛そうとしました。しかし茉里は、人魚であるララをそのまま助けます。
第2話で最も象徴的なのが、ララが湖へ沈み、茉里が救い上げる場面でしょう。
過去のララは、溺れた王子を助けました。ところが、その献身は王子に正しく理解されず、ララの愛も報われませんでした。
現代では、その構図が反転します。
今度はララが水の中で力を失い、茉里が彼女を助けます。人魚が人間を救う物語から、人間が人魚を救う物語へと変わったのです。
人魚であるララが湖で溺れるという展開は、一見すると不思議に思えます。
しかし、あの場面でララを沈めていたのは水ではなく、指輪を失った絶望と、過去に縛られた心だったのでしょう。
水の中は本来、人魚であるララの居場所です。それなのに、暗い湖底へ沈んでいく姿は、かつての世界にも新しい世界にも戻れなくなった彼女の孤独を表していました。
そこへ茉里の手が届きます。
王子へ伸ばしたララの手は、200年前には愛として返されませんでした。けれど現代では、茉里のほうからララへ手を伸ばしてくれる。
この反転があるからこそ、第2話は単純な仲直り回以上の重みを持っています。

救出後、落ち込んでいるララへ茉里がココアを投げ渡す場面も印象的でした。
ララはうまく受け取れず、ココアを落としてしまいます。茉里は呆れながらも拾い、改めて手渡しました。
派手な告白も、感動的な演説もありません。
それでも、受け取れなかったものを拾ってもう一度渡すという小さな行動には、二人の関係性が凝縮されています。
ララは一度、王子から愛を受け取れませんでした。自分から差し出した愛も、相手には届きませんでした。
茉里は、ララが一度受け取り損ねても、そのまま見捨てません。拾い直し、もう一度手渡してくれます。
この作品における「本当の愛」は、一度で完璧に伝わる奇跡ではなく、届かなかったら拾い直すことなのかもしれない。
私はココアの場面を見て、そんなことを感じました。
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魔女グレイスとゴンちゃんはララに何を期待している?
第2話では、魔女グレイスが熱帯魚の姿となり、「ゴンちゃん」と呼ばれながら茉里の家で暮らしていたことも明かされました。
魔女は王国を離れて旅を続けた末、人魚たちを滋賀へ連れてきたと語ります。
ところが滋賀へ到着した人魚の多くは、存在を保てず消えかけてしまったようです。魔女自身も小さな熱帯魚の姿で弱り、茉里に拾われたことで命をつなぎました。
茉里が魔女を拾った頃の姿は現在より幼く見えます。
さらに、魔女がAIスピーカーを使いこなし、茉里と気心の知れた会話をしている様子からも、二人がかなり長い時間を一緒に過ごしてきたことがうかがえます。
この設定によって、茉里が人魚や魔女の存在を比較的自然に受け入れた理由にも説得力が生まれました。
ララから見ると、茉里は魔女側の人間に見えます。しかし実際には、茉里は弱っていた魔女を見捨てずに助けた人です。
つまり茉里は、ララと出会う前からすでに、人間ではない存在へ手を差し伸べていました。
ララを救った行為は偶然の一度きりではなく、茉里がもともと持っている性質の表れだったのでしょう。
魔女はララを放置すれば、滋賀を滅ぼしかねないとも懸念しています。
一見すると大げさな警戒ですが、第1話で人魚の王国が崩壊した経緯や、ララの母親が「本当の愛」とともに強い光を放ち、その力が世界を生み出したという伝承を踏まえると、無視できない言葉です。
ララは愛によって救われるだけの姫ではありません。
彼女自身の感情が、周囲の世界を変えてしまうほど大きな力へつながる可能性があります。
200年前、王子に拒絶されたララが放った光を魔女が目撃していたのだとすれば、魔女はララを「選ばれたプリンセス」として見ているのかもしれません。
だからこそ、ララが再び愛を誤解したり、絶望したりすることを恐れているのでしょう。
興味深いのは、魔女がララを支配しようとするのではなく、茉里との生活へ接続させている点です。
魔法の力でララの心を変えるのではなく、現代の滋賀で人々と関わらせる。スーパーへ行き、車に驚き、ココアを受け取り、割った窓のことを気にする。
世界を揺るがすかもしれないプリンセスに必要なのは、壮大な儀式ではなく、ごく普通の生活なのかもしれません。
また、第2話ではララの姉であるリサも、沖島の湖底で眠っていたララの復活を知ります。
リサの言葉の後に、愛の光を思わせるきらめきが映る演出もありました。ララだけでなく、リサもまた「本当の愛」に関わる力を持つ可能性があります。
ララが現代でどのような愛を見つけるのか。
そして姉のリサは、妹の変化を祝福するのか、それとも人魚の王国をめぐる別の目的を抱えて現れるのか。姉妹の再会は、茉里との関係を大きく揺らす展開になりそうです。
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『さよならララ』2話の見どころは光と水の演出にある
『さよならララ』2話は、セリフだけで心情を説明するのではなく、光、水、距離、物の受け渡しによってララの変化を見せています。
とくに重要なのが、水の扱いです。
人魚であるララにとって、水は本来なら故郷であり、自由に動ける場所です。しかし湖へ沈む場面では、水が安心できる場所ではなく、彼女を孤独へ閉じ込める暗い空間として描かれます。
これは、ララが故郷である人魚の国にも戻れないことを示しているのでしょう。
かつての王国は失われ、王子との愛も成就しませんでした。水へ戻ったからといって、200年前の自分へ戻れるわけではありません。
だからこそ、茉里が水中へ手を伸ばす演出に意味があります。
茉里はララを無理に人間の世界へ引きずり出す人物ではありません。人魚である彼女の領域まで入り込み、その場所から一緒に浮上しようとします。
相手を自分と同じ姿に変えてから受け入れるのではなく、相手が沈んでいる場所まで迎えに行く。
それは、王子の愛とは異なる関係の始まりです。
光の演出も同様に重要です。
人魚の世界では、本当の愛と強い光が結びついています。ララの母親が放った光は、世界を生み出すほどの力を持っていたと語られました。
ララやリサの周囲に現れるきらめきは、単なる美しいエフェクトではなく、感情が現実へ作用する前触れと考えられます。
一方、第2話の茉里は大きな光を放ちません。
彼女が差し出すのは、救いの手と温かいココアです。
ここに本作の面白さがあります。
神話的な「本当の愛」は世界を創造するほどまぶしく描かれますが、現代の茉里が示す愛情は、見落としそうなほど小さな行動です。
世界を変える光より、目の前の一人を助ける手のほうが大切なのではないか。
『さよならララ』は、壮大な伝承を描きながら、愛の答えを日常の中へ降ろそうとしているように見えます。

もう一つ注目したいのが、二人の物理的な距離です。
序盤のララは、茉里を見るなり窓から逃げ出します。二人の間には、同じ部屋にいられないほど大きな心理的距離がありました。
中盤では茉里がララを追い、終盤では湖の中で手をつかみます。そして最後には、ララが茉里を見ながら、滋賀で本当の愛を見つけられるかもしれないと考え始めます。
逃げる背中を追う関係から、互いの顔を見る関係へ変化したのです。
第2話だけで二人が完全に理解し合ったわけではありません。ララはまだ魔女や茉里への疑念を残し、茉里もララが抱えている200年前の痛みをすべて知ってはいません。
だからこそ、この距離の縮まり方が自然でした。
いきなり運命の相手になるのではなく、拾ったココアを渡し直せる程度の関係から始める。その小ささが、むしろ信頼できます。
『さよならララ』2話から考察する「本当の愛」の意味
ここからは私見ですが、『さよならララ』が描く本当の愛は、誰かのために自分を犠牲にすることだけではないと考えています。
アンデルセンの『人魚姫』では、成就しない愛と自己犠牲が物語の核になっています。
人魚姫は声や故郷を失い、王子のために大きな代償を払います。それでも王子とは結ばれず、最後には相手を傷つけるよりも自分が消える道を選びました。
美しい物語である一方、愛する側だけが際限なく犠牲を引き受ける構造でもあります。
『さよならララ』のララも、200年前にはその物語をなぞりました。
王子を助け、人間の世界へ行き、自分の舌を犠牲にし、それでも人魚であることを理由に拒絶されます。
第2話が示したのは、その悲劇をもう一度繰り返すのではなく、物語の役割を入れ替える可能性です。
今度はララが助けられます。
今度はララが温かいものを受け取ります。
今度は相手が、ララの失敗を拾い直してくれます。
この「今度は」という反転が、本作の核心ではないでしょうか。
ララは、王子への愛が足りなかったから不幸になったのではありません。愛するために、自分だけが傷つき続ける関係しか知らなかったことが問題だったのだと思います。
茉里との関係では、ララも助けられる側になれる。
弱ってもいい。取り損ねてもいい。人魚であることを隠さなくてもいい。
それが200年前の愛と現代の愛を分ける、大きな違いになりそうです。
第2話のラストで、ララは「この滋賀でなら本当の愛が見つかるかもしれない」という希望を抱き、その意識を茉里へ向けます。
現時点で、それが恋愛感情なのか、友情なのか、家族に近い結びつきなのかは断定できません。
ただ、本作が問いかけているのは、関係へ名前をつけることよりも先に、「その人をありのまま助けられるか」ということなのでしょう。
ララを人間に変えてから愛するのではない。
人魚であり、過去に傷つき、時代遅れの知識で失敗を繰り返す彼女を、そのまま一人の存在として受け入れる。
茉里の行動は不器用ですが、その条件をすでに満たし始めています。
一方で、ララ自身も変わる必要があります。
茉里が一方的にララを守り続けるだけなら、形を変えた自己犠牲の物語になってしまいます。ララもまた、茉里の痛みや事情を知り、彼女へ手を伸ばす側にならなければなりません。
第2話は、茉里がララを救う回でした。
今後、ララが茉里をどのように救うのかが描かれたとき、二人の関係は本当の意味で対等になるはずです。
そして気になるのが、ララの持つ力です。
魔女が恐れるように、ララの感情が滋賀を滅ぼすほどの力へ変わる可能性があるなら、茉里とのすれ違いは単なる喧嘩では済みません。
ララが愛を得られないと感じた瞬間、200年前の悲劇が現代で繰り返される危険もあります。
それでも、私は第2話を見て悲観的な印象は受けませんでした。
なぜなら、200年前のララは一人で王子を救い、一人で代償を払い、一人で絶望しました。しかし現代のララには、落としたものを一緒に拾ってくれる茉里がいます。
小さな違いに見えて、これは決定的です。
壮大な魔法よりも、拾い直してくれる誰かがいること。
『さよならララ』が描く本当の愛の答えは、案外そこにあるのかもしれません。
また、原典『人魚姫』を知っていると、ララの舌、指輪、水中での救出、光の表現など、一つひとつの演出が別の意味を持って見えてきます。
アニメでは一瞬で通り過ぎる表情や小道具にも、原典を反転させる仕掛けが隠されている可能性があります。
物語を先に追うだけでなく、原作童話の言葉や結末を確かめたうえで見返すと、ララが何を失い、何を取り戻そうとしているのかがさらに鮮明になるでしょう。
『さよならララ』2話の感想まとめ
『さよならララ』2話「滋賀を走る」は、現代文明に驚くララの姿を描いたコメディ回でありながら、彼女が200年前の失恋から一歩踏み出す重要なエピソードでした。
AIスピーカー、自動車、平和堂のHOPカード、チェリオといった現代の滋賀らしい要素が、人魚姫の物語に独特の生活感を与えています。
一方、ツギハギの舌や失くした指輪、暗い湖へ沈む場面には、アンデルセンの『人魚姫』とララの過去が色濃く反映されていました。
とくに注目すべき点は、かつて王子を救ったララが、今度は茉里に救われたことです。
人魚であることを拒絶した王子に対し、茉里はララの正体を知っても態度を大きく変えません。受け取り損ねたココアを拾い直して渡す姿からも、失敗した相手を一度で見捨てない優しさが伝わります。
第2話で二人の関係は始まったばかりです。
それでも、ララが最後に茉里を思い浮かべながら滋賀での愛に希望を持ったことは、彼女の心が過去だけではなく、現在へ向き始めた証しでしょう。
世界を生み出すような強い光ではなく、暗い湖へ差し込んだ一本の手。
『さよならララ』が描く本当の愛は、そんな小さな救いの積み重ねから形になっていくのだと思います。
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よくある質問
『さよならララ』2話のサブタイトルは?
第2話のサブタイトルは「滋賀を走る」です。
200年前から現代へ来たララが、失くした指輪を探しながら、未知の文明に満ちた滋賀の街を駆け回る内容になっています。
ララはなぜ湖で溺れたのですか?
明確な原因がすべて説明されたわけではありませんが、指輪を失った絶望や過去の記憶によって、心身ともに力を失ったためだと考えられます。
人魚が水中で沈むという反転した状況は、ララが故郷にも現代にも居場所を見つけられていない心理状態を象徴しているように見えます。
ララの舌にツギハギがあるのはなぜ?
アンデルセンの童話『人魚姫』で、人魚姫が人間の足を得る代償として舌を切られた設定を反映したものと考えられます。
現在の舌がどのような力で修復されたのかは、今後の伏線として残されています。
執筆:相沢 透(あいざわ・とおる)



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